ホテル・エベレスト・ビューは世界自然遺産に指定されているサガルマータ国立公園内にございます。
ここは通称エベレスト街道とも呼ばれ、村と村を歩く人々の足によって何本も道が作られてきました。
ホテル周辺にも幾つも村があります。
ホテル・エベレスト・ビュー滞在時には、ホテル専属ガイドのご案内のもと付近の村々の散策をお楽しみいただけます。
シェルパの村を探訪するカルチャーツアー、4,200mピークへの挑戦など、皆様にご満足いただけるアクティビティを多くご用意しています。
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シャンボチェ飛行場エベレストに一番近い飛行場

シャンボチェ飛行場はホテル・エベレスト・ビューへの送客を目的として1973年に建設されました。ヘリコプターやピラタスポーターなど一部の軽飛行機が離発着します。
当初は滑走路をホテルの反対側にあるクムジュン村にするか検討されたようですが、現在の場所に落ち着きました。飛行場建設のために、日本からブルドーザーを運んでの事業です。これが40年前の話ですから、その苦労がどれほどのものであったか。ホテル建設に対する計り知れない情熱が伺えます。
現在ではホテル宿泊のお客様はもちろんのこと、エベレスト街道のトレッカー、欧米人が好んで参加するパラシュートツアーの落下ポイント、周辺住民の物資輸送基地としても、広く利用されています。
空路、この空港に降り立つとまず迎えてくれるのがタムセルク(6,608m)の雄々しい姿です。素晴らしいヒマラヤの広がりに言葉を奪われることでしょう。これからのホテル・エベレスト・ビュー滞在に胸が躍る一瞬です。
シャンボチェ飛行場とタムセルク ヘリコプター(一例)
シャンボチェ飛行場より
ホテル・エベレスト・ビューまで
距離:約1.5km
標高差:約80m
所要時間徒歩約1時間

ナムチェ山岳民族シェルパの村

ネパールには35以上の民族があるとされ、世界でも屈指の多民族国家と言えます。旅のいろいろな場面で言語・文化・宗教が様々あることをお分かりいただけることでしょう。
その中でもクーンブ地方(エベレスト山群)に住むシェルパは高所に強く、多くの登山隊やトレッキングを支えてきました。
シェルパの人々にとってここナムチェは特に重要な街です。500年前に東チベットから移住してきたシェルパは、まずこの地に拠点を築き、チベット/インド交易の中間点として栄えたとされています。
現在、交易都市としての機能はますます高まり、毎週金曜日の夕方〜土曜日の朝には定期市が開かれ、賑わいを見せます。
インターネットカフェ、コンビニエンスストア、パブが立ち並び、夜でも明かりが消えない街へと変貌を遂げつつありますが、石造りの一つ一つに歴史がつまっています。
馬蹄形に広がるナムチェの街 石段を登って街に入る
ホテル・エベレスト・ビューより
ナムチェまで
距離:約3km(最短コース)
標高差:約440m
所要時間登り/約3時間、下り/約1.5時間

クムジュン、クンデ静寂の村、ほほえみの里

ホテル周辺にあるクムジュンとクンデの村は静寂に包まれたシェルパの村です。エベレスト街道のメインルートから外れているため、現在でも昔ながらの生活を垣間見ることができます。
ヒマラヤ登山の黎明期にはこの二つの村から数多くのクライミングシェルパを輩出しました。クムジュン村は日本のエベレスト初登頂隊のメンバーだった植村直己さんが越冬した村でもあり、遠征隊のスタッフ人選をするかたわら、高所順応やトレーニングをされたそうです。今でもエベレスト登山に彼らの存在は欠かせません。
また、エベレスト初登頂を果たしたエドモンド・ヒラリー卿がとりわけ愛した村としても有名で、彼が創設した基金によってクンデには設備の整った病院、クムジュンには中等教育まで受けられる学校が建てられました。
村を歩くカルチャーツアー、ヒラリー卿が作った病院や学校の見学、イエティ(雪男)の頭皮が奉られているゴンパ(寺)拝観など、静かな村をたっぷりお楽しみいただくことができます。
雄大なヒマラヤの麓の村で素朴に暮らす村人に会ったら、ぜひ「タシデレ!」と声をかけてみて下さい。はにかみながらも、挨拶を返してくれます。
ベーカリーがあることでも有名 馬でも散策できます!
ホテル・エベレスト・ビューより
クムジュン、クンデまで
標高差:−80m
所要時間徒歩約20分〜40分

クンデピーク4,200mの頂上を目指す!!

クンデ村を抜けた先に4,200mのクンデピークがあります。
古くから神の住む山として崇められ、日本の金毘羅山の語源ともなったクンビラを眼前につづら折りの登山道を登って行きます。
クンビラの尾根が手前に伸びてくるため、頂上からエベレストの位置は端になってしまいますが、アイランドピーク、テンギラリタウ、パルテャモなど、今まで見えてこなかったヒマラヤをご覧頂けます。また、アマダブラム、タムセルク、カンテガ、コンデリなどが今まで以上の大迫力で眼前に迫り、ヒマラヤとの距離が今まで以上に近く感じられます。大迫力のヒマラヤを背景に、風にたなびくタルチョ―が尾根沿いに延々と続く神秘的で壮大な景色が広がります。
クムジュン村、クンデ村、シャンボチェ飛行場、ナムチェなどホテル周辺を一望することができ、遠くにはターメ、ターモ、タンボチェも見えてきます。
登頂のために特別必要な装備はありません。日本では経験することのない4,000mの世界をぜひご体験下さい。
ピークからのヒマラヤ図解
4,200mのピークにて 大迫力の世界が広がります!
ホテル・エベレスト・ビューより
クンデピークまで
標高差:約400m
所要時間往復約6時間

タンボチェ丘に建つ神秘の僧院

クーンブ地方のチベット仏教総本山と言えるタンボチェ僧院。タンボチェ僧院を建てたとされるラマが付けたといわれる足跡が残されています。
毎年秋にはマニリンドウという仮面舞踏会が開かれ、世界中から多くの観光客が訪れます。
1971年シャンボチェ飛行場の起工式の際には、このタンボチェ僧院のラマに祈祷をしてもらいました。
エベレストには近くなりますが、ホテルからの景色と大差ありません。圧巻はカンテガ(6,685m)の威風堂々たる山容です。
このヒマラヤは、ホテル・エベレスト・ビューから全容が見えないので、お勧めしたいコースです。
タンボチェ僧院 カンテガ(左)とタムセルク(右)
ホテル・エベレスト・ビューより
タンボチェまで
距離:約8km
標高差:−13m
所要時間馬で往復約6時間

ホテル周辺に咲く季節の花々可憐に咲くヒマラヤの妖精たち


ホテル・エベレスト・ビュー滞在時の楽しみはヒマラヤだけではありません。
足元には可憐で生命力溢れる花々との出会いがあります。
ヒマラヤの複雑な地形、緯度、高度、そして季節によって様々な高山植物が咲きます。
高山植物観賞が好きな方には特に夏をお勧めします。
サクラソウ

<秋>
褐色の大地にふと目を向けると小さくも可憐に咲くヒマラヤ・リンドウが一際目立ちます。
ドライフラワーのエーデルワイスが見られるかも知れません。
ヒマラヤリンドウ エーデルワイス トウダイグサ
<春>
4月後半には、ネパールの国花・石楠花が咲き始めます。
赤・ピンク・白の石楠花が山岳展望のアクセントとして楽しめます。
石楠花 石楠花とエベレスト アヤメ
<夏>
フラワーハイキングのベストシーズン。
雨季の時期限定、一面に緑に包まれたお花畑の絨毯が広がりエーデルワイスを代表に色とりどりの花が咲き誇ります。
夏の花々 階段横の花々 花のある風景
エベレスト・ビュー こぼれ話

シャンボチェ飛行場

ホテル・エベレスト・ビュー建設と同じくらい苦労したのが、この飛行場建設でした。
ネパール政府との駆け引きもそうですが、もともと岩がゴロゴロしていたこの地を平坦にならすことに多くの人員と予算が投入されました。
若い宮原自身も朝から晩まで岩の掘削をしたこともあったようです。
「ヒマラヤの灯」にはホテル建設だけでなく、この飛行場建設にも多くの紙面が費やされています。よっぽど大変だったのでしょう。
エベレスト・ビュー こぼれ話

ブルドーザーを運んでの事業

ブルドーザーは一旦分解され、ヘリコプターで数回に分けて運ばれました。
ここで組み立てられてエンジンが一発で動いた時はみんな興奮したとのエピソードがあります。
エベレスト・ビュー こぼれ話

ナムチェと
ホテル・エベレスト・ビュー

ホテル・エベレスト・ビュー建設当初は食料のほとんどをナムチェで購入していましたが、大量に購入するためバザールの価格がどんどん高騰してしまい、村側から買い物を遠慮してくれないか?と言われてしまいます。
全くもってもっともな話です。 そこで、食料のほとんどはカトマンズから運び上げることになります。
このために、食料隊として新たに50名のポーターを雇用し、片道2週間以上かけて、カトマンズと工事現場を何度も往復させました。
エベレスト・ビュー こぼれ話

ヒラリー卿とのエピソード

エベレストを初登頂したエドモンド・ヒラリー卿は、当初ホテル・エベレスト・ビュー建設に反対でした。
卿は建設を中止させるようネパール政府に働きかけます。同時に日本山岳会に書簡を送り、内側からも建設中止を試みました。
ある日、宮原はヒラリー卿に直接面会し、ホテル建設の方法と目的について説明する機会を得ました。
宮原の著書「ヒマラヤの灯」にはこの時の会話が包み隠さず書かれています。
結局、ヒラリー卿には周囲の環境、シェルパの文化を出来る限り壊さないよう建設していくということを明言し、その後、ヒラリー卿は静かに動静を見守ることになります。

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